· 

博施済衆

卒業証書

彩生堂をオープンする前は、博濟薬局(埼玉県飯能市)で修行をしていました。

修行といっても、お給料はしっかりいただいていましたし、あれこれ言われることもなく、自分で腕を磨けよというスタイルでした。

卒業もなんとなく師匠とあうんの呼吸で、そろそろ…というタイミングなのですが、卒業が決まると、冒頭の写真のような書をいただけます。

それは、博濟薬局の語源にもなる”博施濟衆(はくしさいしゅう)”と書かれた書です。いわば、”卒業証書”ですね。

博施濟衆とは

ネットでこの言葉を調べると、次のように意味が書かれています。

 

広く人民に恩恵を与え、民衆を苦しみから救済すること。為政者の心得。▽「博施」は広く人民に恩恵を施すこと。「済」は救う、助ける意。「衆」は人々。多くの人。「博(ひろ)く施(ほどこ)して衆(しゅう)を済(すく)う」と訓読する。

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%8D%9A%E6%96%BD%E6%B8%88%E8%A1%86/

そして出典は『論語』の「雍也(ようや)」という部分からだそうです。

では、その『論語』を見てみますと、

 

《原文》

子貢 外字曰、「若博施於民、能濟衆、可謂仁乎。」子曰、「何事於仁、必也聖乎。堯舜其猶病諸。夫仁者、己欲立而立人、己欲達而達人。能近取辟、可謂仁之方也已。」

 

《書き下し文》

子貢(しこう) 曰く、「若し博く民に施して、衆を濟ふに能はば、仁と謂ふべきか。」子 曰く、「何ぞ仁を事とせん、必ずや聖か。堯(ぎょう)舜(しゅん)も其れ猶ほ諸を病り。夫れ仁ある者は、己れ立むと欲めて人を立て、己れ達らむと欲めて人を達す。近く辟へを取る能はば、仁の方と謂ふべきなるのみ。」

 

《現代語意訳》

子貢は言いました。「もし広く民に施して、民を救うことができたら、仁のある者と言えますか?」

孔子先生は言いました。「なぜ(それほどのことができて)仁と言えるのか、それはもはや聖人だ。(過去に聖人と呼ばれた)堯や舜でさえもそのようなことができず、いろいろ悩んだのだ。そもそも仁のある者は、自分が立身したいときにはまず他の人を立身させ、自分が成し遂げようとするときには先に他の人に成し遂げさせるのだ。身近な人のことを自分のことのように考えることができれば、仁に至ると言って良い。」

漢方薬局 彩生堂の心構え

漢方という医療で、身体でお困りの全ての方の悩みを解消する。

そんな聖人のようなことができれば…と思い悩むことは日々あります。

しかし、彩生堂にアクセスしてくださり、相談しに来てくださった方々、お一人お一人のお話を伺い、孔子の言う”仁”のように、我が身のように考え、改善に向けて一緒に併走するよう心がけております。